「もう無理」「何もしたくない」「死んでしまいたい」と心が折れてしまうことは、生きていれば一度ならず誰もが経験することではないでしょうか。
理由は様々あるにせよ。
自身も例外ではないですが、そんな時はこう考え直すようにしています。
「身体は、自分のために生きようと頑張ってくれている」と。
「その心は?」これから書いていきますので、一つの参考になれば幸いです。
身体に意識を向けたことはありますか?
身体は、主人の意思に関係なく、いつも修復を図るべく最善を尽くしてくれています。
どんなに酷使、不摂生をしても、その時与えられた条件の中で。
風邪をひいても数日後には回復するし、切り傷、擦り傷を作っても治してくれる。
時には薬や医療の力を必要としますが、それでも尚身体の治癒力は素晴らしいです。
体内では日々、免疫がウィルスや病原菌と戦っているし、各器官は連携して動いています。
身体あっての健康であり、それでこそ人間は元気に活動することが出来るのです。
なんとありがたいことでしょうか。
感謝の意を表すためには、やはりこちらも身体に応えるべきだと思うのです。
人生の意地悪―悩みは絶えず積もる
私が「身体に感謝を」と考えるようになったのは、あるきっかけのおかげです。
今でも悩みは尽きませんが、今以上に悩みを抱えていた頃のことです。
そもそも悩みというのは、当人にとってはその時初めて遭遇することだから悩むのです。
当然経験したことがないので、どう対処したら良いのか分からない。
簡単に答えが見つかるものであればそれほど悩まないのでしょうが、そうはいかない時があって最善を考え、最善を尽くすも上手くいかない。暫くは問題なく持ち堪えていますが、解決しない状態が続けば徐々に気持ちが下降していきます。
尚も全身全霊で対峙するものの、突破口が見つからないとテンションは下降の一途です。
この世の終わりのような考えに向かいかねません。更に新たな問題が勃発しようものなら、心の対応力や抵抗力は一気に落ちてしまいます。
しかし人生とは何と意地悪なのでしょう、こういう時に限って、そうなって欲しくないことが起こるのです。
それまでカラーに見えていたこの世界が、突如モノクロの世界に変わり、まるで出口のない迷宮に入り込んでしまったかのように、重く絶望的な気持ちになるのです。
自己の中の柱が崩れる恐怖
「無理、もう頑張れない」
こんな言葉を何度吐いたことでしょう。
そしてドツボにはまっていくのです。
それでもまだ重い心を引きずり、なんとか力を振り絞り歩こうとし続ける。
それでもいよいよ心のエネルギーが底を突いてくると、自分の中の軸というべき柱が崩れ始めるのです。
危険な世界が見え隠れし始めるのはこの辺から。もはや気分転換程度では、回復できない域に達しています。
一旦停止、周囲へのSOS発信、医療のお世話になるべき時でしょう。
しかし、人によってはそういう行為に至れないタイプもいます。
どちらかと言うと私もその類で、その時唯一心が空白になれたのは睡眠時でした。
やっと苦痛から逃れられる待望の時間ですが「このまま目が覚めないように」と切に祈りながら眠りについたものです。
しかし翌朝、必ず目が覚める。
厳密に言えば目覚ましで起こされるわけで、仕事があるから仕方がない。
正直、こんな時は仕事どころではないのですが、実際に仕事を休んでしまったら、もう二度とは戻って来れないような、更に恐ろしい域に突入してしまうのではないかという恐怖があり、正当な理由なくして休むことができませんでした。
心は死んでいても身体は通勤させ続けるという、自分からは行動を変えることが出来ない慣性の法則のような防御策です。
主人は後ろ向きでも、主人の身体は常に前向きです
「まだ生きてる」恨めしい気持ちで毎日が始まります。来る日も来る日も。
「この辛く重い日々が今後も変わらずに続く。いつまで持ちこたえられるのか」
息の詰まる毎日に、為す術もなく気も狂わんばかりでしたが、ある朝ふと、あることに気づいたのです。
「お腹が空いている」と。
こんなにキツいのに、腹が空くとは。
食事なんてどうでも良いのです。
こんな重大な時に空腹を感じるとはふざけていると思いましたが、反面滑稽にも思えました。
するとこの滑稽さが微かな笑いを、真っ暗闇の心に小さな灯りをともしたのです。
「それほど大した悩みじゃないのかもしれないな」
そう感じつつ改めて空腹感を味わっていると、更に新たな気づきがあったのです。
「なおも身体は生きようとしている!」
自分の中にまだある前向きな動きを知りました。
心がどんなに折れようと、身体の主人が後ろ向きであろうと、身体は常に前を向いています。
生きる望みを捨てないのです。
ハッと我に返るように、止まっていたモノクロの世界が、再び色を取り戻し動き始めた瞬間でした。あれほど悩んでいたのに、まるで催眠から醒めたかのように、心がパチンと切り替わりました。
ほんの小さなプラスに気づく
心というのは、複雑で一筋縄ではいかないものと思ってきましたが、ほんの小さなプラスのきっかけに気づくことで、瞬時に活力を取り戻すことができるようです。
しかも、更に一歩前へ歩き出すことができます。
ゲームで言うなら劣勢時に一発逆転でエネルギーを奪還、更にパワーアップして次のステージに向かうといった具合でしょうか。
人生において次のステージに向かうというのは、正にこういう状況なのかもしれません。
何に悩んでいたのかは割愛しますが、これが試練というものだと思います。
そこから脱出した際「もう大丈夫、これからは」と思ったことを覚えています。
少し強くなれた瞬間でした。
視点を変える
ほんの少しのきっかけが、個人に気づきを与えてくれます。
私の場合はそのきっかけが身体の示す空腹感であり、それが生きようとする前向きな姿勢へと繋がりました。
もう残されていないと思う力は、確実に消えることなく身体の中にあります。
ただ気づいていないだけです。
生きていること自体が、その力なのです。
「悩むことなかれ、いつ何時も力は消えない。時間の許す限り共に歩こう」
そう身体は言っている気がします。
実のところ悩みとは、視点を変えればそれほど悩む必要のないものかもしれません。
突破口は、ひょんなところから現れます。
どんなに悩んだところで、事実は変わりません。
変えることができるのは、心の捉え方のほうですから。
自己の中の生きる力
身体はいつも前向きです。
主人がどんなに辛く悩んでいたとしても、身体は主人のために変わらずに尽くしてくれています。時には物分かりの悪い主人に、気づきすら与えようとしているのかもしれません。
たまに意識を傾けて、自己の中の生きる力を感じてみてはいかがでしょうか。
いかに主人のために毎日働いているかが分かるはずです。
何もしなくてもいつか人は必ず死にます。
死なねばならない時が来るのです。
ならばその時まで、身体が自由に動くのなら、存分に活動するのが良いに決まっていると思いませんか?
自分のために頑張ってくれている、身体への感謝の印として。